教員人生初、国語科「やまなし」の授業。子どもたちから出た問いを処理しきれず大敗北。クラムボンが気になって仕方ない子どもたちと、教師用教科書の「クラムボンについての議論は避けた方がよい」という文言の対比に、笑う…
— うめを@小学校教員 (@edcmonster) September 26, 2024
教員人生初、国語科「やまなし」の授業。
子どもたちから出た問いを処理しきれず大敗北。
クラムボンが気になって仕方ない子どもたちと、
教師用教科書の「クラムボンについての議論は避けた方がよい」
という文言の対比に、笑う…
通りすがり失礼…
— 迷 (@tomomayoi) September 26, 2024
「避けた方が良い」とは、正解のない問題なのでそれぞれの感じ方を正解とするところが、意見交流でなく言い負かすことが主になってしまい、個の自由な発想が潰されることを懸念しているからと解釈しています
答えを一つに決めないと決めれば、議論自体は絶対面白い
楽しめますように!
「避けた方が良い」とは、正解のない問題なので
それぞれの感じ方を正解とするところが、
意見交流でなく言い負かすことが主になってしまい、
個の自由な発想が潰されることを懸念しているからと解釈しています
答えを一つに決めないと決めれば、議論自体は絶対面白い
楽しめますように!
クラムボンは罠ですよね…。
— ゆきこ (@hideset) September 26, 2024
アレに惹かれない小学生、いるのか?
まあ、あれについていきなりやり始めるとほんと授業終わらなくなるので「言及しないほうが無難」なんでしょうが、発想力を養うという意味ではやり甲斐あると思うんですよね。
この記事への反応
・子どもの教科書を見て
「やまなし」は読解してはいけない文学作品だと思いました。
宮沢賢治の作品として「読む」のは世界観が面白く、
よい経験でしたが、
「宮沢賢治にしかわからない言い回しや感情があるから、
そこに正解を求めてはダメだと思う」と子ども自身が言っていました。
・あれでクラムボンを避けるのは無理だと思うんだ。
申し訳ないけど爆笑してしまった。
・歌手だって教えてあげましょう(すっとぼけ)
・やまなしでクラムボンの議論を避けるのは、
部屋にいる象を無視するくらい不自然だと思う
はっきりせず議論がぐちゃぐちゃになることがあってもいいと知るのも良いことだと思う
この点に関しては指導書の考え方に賛成出来ない
クラムボンがどうやってかぷかぷわらうのかみんな気になってる
・こういう脱線して収拾がつかなくなった授業の方が
記憶に残ったりするものだし、
作品も児童たちの心の豊かさ(正解がなくても良い)に
繋がりそうな気もする。
・クラムボンは泡の事をそういう風に呼んでます
ってサクッと言われたので疑問を持たずに来てしまった。
・クラムボンは
「分からないものは分からないまま中立的に保留する」
訓練の一つになってるから教育的意義はかなりあると思うよ。
分からなくてストレスになる子が出たほうがいいまである。
あれは人間にはわからない
蟹たちだけの共通の思い出や大事な人
だと思ったなぁ
つまり「蟹のことを人間がわかった気にならなくていい」
が正解というか
蟹たちだけの共通の思い出や大事な人
だと思ったなぁ
つまり「蟹のことを人間がわかった気にならなくていい」
が正解というか
やっぱりクラムボンだった
念能力の事だよ
泡だという説があるが、そうではない可能性も当然ある。
これが結論だからそれ以上言われてもそうかもしれないでで終わるし、思考実験したいならそのまま続けて時を過ごせばいいだけだし、避ける必要はない。
何時も分かった気になって無能コメンテーターごっこやってるよなクソバイト🥴
とりあえずクラムボンはアナグラムで再構成するとクラブむん
つまりしかのこのこのここしたんたんの出だしは本当はぬんではない
しかのこのこのここしたんたんの歌は実は宮沢賢治のクラムボンのアナグラムなんだよ
とでもイットけ
意味のない言葉が捨て置けなくなる
で言霊とか忌み言葉とか言い出すようになる
辛辣過ぎて草
勝ったな
死んだけど
>教師用教科書の「クラムボンについての議論は避けた方がよい」
は最近の話なんかな
まぁ筋の通る解釈出来るんなら何でもいいんじゃないかな
なんとなくだけど泡が含んで破裂する感じの擬音がそのまま呼び名になってるぽいよな、子供がフィーリングで名前つけるんと同じ感じ
ただ曖昧で感覚的な物を許さない系教師には説明出来んだろうな、計算の順番やら漢字の書き方まで絶対不変の答え求めるような連中には説明出来んわ、実際は説明ではなく児童との対話で本人の感性を遮らない、優しく諭すみたいなスキルが求められるんかとは思う
ネットにもよくいるけど(ただの別媒体からの受け売りの)答えをバンと叩きつけてドヤァとマウント取りたがるようなタイプだとね、曖昧なものをなんだろうねぇと言う事が出来んのだろうね
自身が知らないものを教えてんじゃねーよ
春画大好き自慰野郎やぞあいつ。
多分児童達の自由な話し合いをまとめる気概がない教師に対しての助言だろう
こういう事を敢えて討論させたろって教師だったらやらせるかもしれんけど、とにかくマニュアル通りに決まった答えを提示する事しか出来ない教師には、マニュアルとして議論は避けた方が良いとあらかじめ書いといた方がいいだろうな
ワイとしては児童をある程度自由に伸び伸び育てたいと言う気持ちがあるから、自分が教師なら話し合わせるかもしれん
やる気のないやつは全く参加せず、やる気のあるやつは自分の意見をガーガー喚くだけ。
教師は意見をまとめきれず何か適当にオチつけてなぁなぁで終了。
こんな適当な授業やるくらいならがペーパーテストでもやればいい。
なんかフワフワキラキラしただけの駄文がよぉおおおおおおおおおおおおおおおおお
俺だったら敢えてハードでシリアスな作品読ませたいね。「復讐するは我にあり」とか。
宮沢賢治だけじゃなく太宰も意味不明だったんで、文学全般が自分には無理だなと実感した
名前似てるしw
みたいなもんか
ぼん=子供
答えは出たな
「分からないものは分からないまま中立的に保留する」
訓練の一つになってるから教育的意義はかなりあると思うよ。
>>分からなくてストレスになる子が出たほうがいいまである。
本人も訓練って言ってる通り、単純化傀儡思想の最たる例
皮肉ではなく言ってそうなのがさらに怖い
分からない?簡単にわかってたまるか子供ごときにwwwこれで良いのだよ
後は勝手に考えるから、宿題にしてやれば良い
「こんなことを考えるだけの知能がある」で、学力としては上がっていきやすいのだが
「こんなこと考えても時間の無駄」で、いわゆるコスパは良くない
どっちが優先されるかの世相によって良い悪いが変わる話よな
朝鮮のような目の前のことしか考えられない害虫民族ではありえない
だからあの国には文化がない
ただ「やっぱり時間の無駄だよな」ってのはどうしてもあるので、どっちが優先されるかだ
出来自体が悪いんだな・・。
クラムボーンより閃光の
あさりじゃないよ
ハマグリだよ
そのまま泡でええんじゃないかな
宮沢賢治は童話作家じゃないか?
何回目の登場だ?
俺のクラスは「ジョバンニ」で論争が起きたぜ
FF、FFわめいたよ
ガフガフ笑うやつか?
俺のクラスは「序盤に」で結論したぞ
それでもなお宮沢賢治に付き合ってあえて言葉遊びに興じるというなら好きにすればいいがな
少年時代の風あざみみたいなもんだろ
ミュージシャンとかアーティストがよくやる手口だ
それはただの人の名前やん
なにを議論することがある?
サラウンド辺り聞いた事あるやろ
フラウ・ボゥとブラウ・ブロの区別すら付かない俺だった
本好きから宮沢賢治が崇拝されてることだけは知ってる
クラムボン(英語: Clammbon)は
原田郁子、ミト、伊藤大助による日本のバンド。
1995年結成。
1999年にワーナーミュージック・ジャパンからメジャーデビュー。
2003年、日本コロムビアへ移籍。
2015年、メジャーレーベルから離脱。
答えは作者しか知らないはずだが、こういうのは作者ですらちゃんと設定してなかったりするからな
ネットで無料で読めるから読んでみろ
10分もかからず読めるぞ
クラムボン:作者の考えた意味のない言葉
と書いてた。
40年も昔の話だけどね
まだ、この作品で授業受けてんのかw
ワイは40年前に授業で習ったが、今でもクラムボンが頭に残ってるわw
作者が何を思って書いたかわからないでいいじゃん。