感動ポルノとは





「感動ポルノ inspiration porn」は、ジャーナリストでありコメディアンのステラ・ヤングさんの造語であり、TEDでのプレゼンテーションを通して知られるようになったものです。車椅子ユーザーの障害当事者としての経験を踏まえた彼女自身の語り口もあいまって、一躍キラー・フレーズになりました。
(略)
けれど、日本語圏の者には、「感動」という訳が用いられるだけで、「ああ、あのへんの、あの感じね」と「ピンとくる」ものがある。そうした「あの感じ」の最たるものが、「『24時間テレビ』的なるもの」だと言ってよいのではないでしょうか。あるいは、「感動をありがとう」という言い回しに居心地の悪さを日々感じている人にとっても、「ピンとくる」ものであるかもしれません。
社会学者の北田暁大さんは、90年代以降テレビを席巻してきた「感動」志向について、(とりわけそれを嫌っていたとされるナンシー関のテキストに寄せながら)こんなふうに書いています。「ほぼ間違いなく視聴者を満足させることのできる番組演出の1フォーマット」である「感動物語」は、感動そのものが問題なのではなく、感動を媒体として築き上げられる送り手=受け手の共犯構造、テレビ的フレームによって世界全体を包摂し尽くそうという不遜な欲望こそが、問題なのだと(北田 2005: 181)。
「感動 “ポルノ”」と言うからには、やはり、観る側の自己満足/自慰行為というニュアンスや、送り手=受け手のメディアを介した共犯関係といったことも批判の対象として含意されているのでしょうし、そういう意味では、かならずしも障害者のメディア上の描かれかたをめぐる問題だけではなくて、今後、より汎用性の高い概念として用いられていく可能性もあるかもしれませんね。



感動ポルノの何が問題なのか


批判されるべき点は二点あると思います。第一に、「感動ポルノ」は、メディアを通して「あるべき障害者像」を流布し、強固にしている点です。第二に、障害者が、社会のつくりだした不利を「克服」すべく「努力させられている」という側面を「感動」が隠蔽してしまう点です。



『聲の形』は聴覚障がいを感動のために消費し、いじめっ子、及びかつていじめっ子だった者を慰撫する感動ポルノではないかという議論がツイッターで勃発





聲の形は感動ポルノという意見














































聲の形は感動ポルノではないという意見





























その他こんな意見も

















































いじめ加害者(もしくは無関係者)といじめ被害者では感想が真逆に

ポルノかどうかさておき、妙に小奇麗な感じがなんとも・・・







ニーア オートマタ
ニーア オートマタ
posted with amazlet at 16.09.21
スクウェア・エニックス (2017-02-23)
売り上げランキング: 11