映画的なゲームが最近全然楽しめなくなってきた人の話



個人でゲーム制作をしているニカイドウレンジ氏のツイートが話題に


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映画的なゲームが最近全然楽しめなくなってきたという話

・トゥームレイダーをやってゲンナリしてしまった話・でも映画的ゲーム昔は楽しかった・でも今は全然楽しくないんだけどなんでだろうね

togetter.com
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ニカイドウレンジ氏が『ライズオブトゥームレイダー』体験版をプレイ




トゥームレイダーの体験版やってる。このゲームに限らずだけど、こんな感じの「ダイナミックな演出を楽しみながらのプレイ」が最近全然楽しめない。というよりウンザリしてしまう。






トゥームレイダーとか、アンチャーテッドとか、CODとか、最近だとINSIDEにもあったけど「演出があらかじめ決まっていて、その台本通りにプレイヤーが操作しなければならない」みたいな場面が嫌いだ。「台本から外れる操作ができない」あるいは「台本から外れると死」で、自由がないんだもの。





昔は、そういうリニアで映画的な場面を「すっげー!」って感動してたけど、それはグラフィックの進化が途上だったのと、かつ自分自身が「事実上やることは1つで選択の余地がない」「基本的には安全が保証されている」というカラクリを知らなかったから、だと思う。今はもうカラクリを知っちゃってる。





めちゃくちゃダイナミックに落石とか雪崩とか、崖崩れとか起きてもそれは「ゲームの外で起こっているカキワリの演出でしかない」ということがもう分かっちゃってる。それでプレイヤーは絶対に死んだりしない。だから緊張感がまったくない。むしろ最近は退屈さすら感じるようになってる。





近年流行ってるゲーム、モンハン、マイクラ、ダクソ、スプラみたいに「ゲームゲームしたゲーム」が中心だと思うのよ。映画的演出、とかストーリーとゲームプレイの融合、みたいなのはもう時代遅れ、という印象を強く感じる。





ゼルダはだいぶゲームゲームしたゲームではあるけど、「指示される通りにダンジョンを回って、謎解きグッズ手に入れてそれを活用して進んでボスを倒して…」というレール沿った展開からの脱却をここ数作で色々模索していたのよね。で、ゼルダBoWでは完全投げっぱなしの導入になった。最高だ。





製作者が意図した演出や展開を見せようとするとどうしても「不自由」になってしまう。不自由になるとプレイヤーの選択肢が狭まる。選択肢が狭まった場合、死なないようにしなければ先に進まないので必ず「安全」にしなければならない。すると不自由になった時点でプレイヤーは安心するようになる。





「レールから外れた状態」ってのは様々な危険が伴うけど、だからこそものすごく自由だし、魅力的なんだよな。マイクラみたいな自由度が高いゲームもそうだけど、初代ポケモンのミュウ騒動とかも「ゲームの枠組みから外れた存在」としてものすごい魅力があった。やっぱそういうのが一番面白いんだよな。





マリオの「天井裏」ルートなんて正にレールから外れた状態で、これはものすごく楽しいんだよな。でもこれは製作者折り込み済で、しかも天井裏にワープポイントを設置するまでやっている。最高だ。





極端な話をするとゲームがゲームである以上、「ゲームがクリアできることが保証されている」状態なんだよな。だからダンジョンがあったら必ず最深部のお宝はゲットできるし、閉じ込められても脱出できることが保証されている。

最近は「クリアできないゲーム」を考えている。わりと大まじめに。






そういう意味じゃマイクラは本当に凄い。洞窟があっても宝があるとは限らないし、宝があっても手に届く所にあるとも限らない。でも、宝がなければ見つけるまで壁を掘ればいい、届かなければ届くように地形を作り変えればいい。理不尽が沢山あるけど、その理不尽に対抗できる手段を持っている。





やたら伸びていた。色々伝わっていないみたいだけど、とりあえず「時代遅れ」と書いた理由について補足しておきたい。


「製作者が決めたレールに沿って操作しないといけない場面」が一概に悪だとは思わないし、このテのやつで自分が好きなゲームも多い(アンチャ4とか大好きよ) そういうゲームと選択の自由があるタイトルが共存したり、ゲームの中で使い分けたりするのが良いとは思っている。

ただ、「製作者が決めたレールに沿って操作しないといけない場面」というのは、「自分の操作で超プレイした! と思えるが実際は製作者の敷いたレールの上だった」という、という「手品」なのよね。

だからタネがバレたら「なんだレールの上か…」と思ってしまって逆効果になってしまう。

もちろん実際の手品の中にも「タネがある事は分かるしなんとなくタネも分かるけど、それでもやっぱり見応えがあるすごい手品」ってのもある。自分的にはアンチャーテッド4の演出はこれに該当すると思っている。ライズオブトゥームレイダーのオープニング演出はこれに該当しないと感じた。

で、ここ数年の間でそういう手法は沢山使われてきた。何度もそれを体験してカラクリが分かってくると、その手法は効果が失われてしまう。いわば「時限」がある手法だと思うのね。だからずっとこれに頼るゲーム作りはずっとは続けられないだろう、と。それを一言で「時代遅れ」と表現したわけ。



この記事への反応


そろそろ卒業すべき頃合いということ

ダークソウルも演出は決め打ちだぞ・・・それは単純に演出が目につくようになっただけだ。スムーズな入りになってるゲームは、それはそれで楽しいぞ・・・!いろんなゲームを愛そう!

4年で人間は変わるんだなとか思いながら眺めてる。



QTEはだるいけど、ペルソナ5のほぼ一本道なんだけど飛び移ったりなんだりのアクションが随所に挟まれるダンジョン探索は割と楽しかったので、演出がうまいかどうかの問題じゃないかと思う。

QTE失敗→即死はホントやめて。俺的には、QTE元祖はダイナマイト刑事じゃないかと思ってる。ダイナマイト刑事では若干有利不利が出るだけで、即死は無かったかと。

元来トゥームレーダーの肝が謎解きなのも知らないでCoDと同じ括りにしてるのが浅いうえにデモで判断かいw

ちょっと嫌なことあったからって日本終わったみたいに言うのと大差ないね

わかる。が、解決法は思いつかない。画期的な何かが必要だとは思うが

自由度の高いゲームもあれば不自由なゲームもある、ということでは?自由度の高いゲームがすでに絶滅したのでなければゲームチョイスが下手というだけだ。

やーまぁそんな事いったらスーファミ時代も同じですよ

むしろ最近は今までが一本道で済んでたゲームをやたら拡大していろんなルートで自由にクリアできますよってのが謳い文句になって、逆に迷うし無駄に移動するしいつどこが盛り上がる場面なのかわからないまま終わってしまったなんてのが多発して「広くしなくていいから濃く作ってくれ」って言われてたりするんですけどね…

あー、「ノーヒント突然死を何度もくらいながら正しいコースを暗記するゲーム、今やるとイラッとするよね」っていうのはわかる

まぁ個人の趣味の問題だよね、で大体済むけどミュウ騒動が一番初代ポケモンで魅力的って言われるのはちょっともにょる バグじゃん

俺屍が一部で神ゲーと言われ、俺屍2が糞ゲーと言われた理由を垣間見た気がしました。

半年前にアンチャーテッドを楽しんでいたときからどういう心境の変化があったのか知らんが、確かにそれを楽しんでいる時期があったのなら今呟いていることがどれだけ的外れなのかわからんもんかね。

この手のゲームおじさんはなんで自分の好みを業界の一般論にすり替えるのかなぁと毎回思う。INSIDEなんて時代遅れどころか大人気ゲーもいいとこですぜ。結局、人気になるってことはそれを選択して楽しむ人が大勢いるってことであって、現代のゲーム環境は多様性が確保されてる上にそれがしっかりと機能してるとしか言えないわけやね。だから自分の好きなゲームやってね!としか言い様が無いんだ

作品の多様性が向上したことで、自分の望む作品に到達し難い現実を嘆くのは勝手だけど、自分の趣味嗜好くらい自分で把握しとこうなと突っ込まれる話ということで理解した





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「トゥームレイダー体験版が面白くなかった」ってだけだしなぁ

開発者も色々な演出考えてるし、映画的なゲームまとめて時代遅れと言うのはどうかと