記事によると

韓国蔚山(ウルサン)広域市中区(チュング)役所が慶長の役当時、倭軍が建てた城「鶴城(ハクソン)公園」に朝鮮を蹂躪した武将「加藤清正」の像を建てることにして問題となっている。

・蔚山市中区役所が日本観光客の誘致などのために鶴城公園に10億ウォン(約1億508万円)の予算を投じて慶長の役当時の姿を再現する工事を行っている。特に、鶴城公園入口に当時朝鮮軍の都元帥・権慄(クォン・ユル)、明国将軍の楊鎬とともに武将・加藤清正の銅像を建てる。1.7メートルの加藤清正像は現在、考証を経て製作中だ。

・蔚山市中区役所は加藤清像の設置に対して「歴史的に意味のある鶴城公園がスラム化し、市民から遠ざかる現実を取り戻すためのもの」としながら「設置される銅像は権慄将軍と明の楊鎬将軍は騎馬像で蔚山市倭城に進撃する姿であり、加藤清正は島山(トサン)城戦闘で城内に孤立されて水と食糧不足で苦しめられている姿」と明らかにした。

・だが、地域社会と政界は「日本がまだ謝罪をしたこともないのに日本の武将の像を建てるのは間違っている」として反発する雰囲気だ。

・民主党蔚山市党は「鶴城公園は加藤清正が数多くの朝鮮人の犠牲を通じて建てた公園であり、慶長の役当時最も激しい戦闘が起きたところで怨念がこもっている歴史的現場」としながら「市民の情緒上でも許されることができず、未来世代に対する正しい歴史観確立にも決して役に立たない。さらに、蔚山の象徴として代表される公園に観光活性化の名目で加藤清正像を建てるという発想こそ、歴史を正しく立て直す作業とはかけ離れている」と指摘した。

・蔚山市中区役所関係者は「事業が完了すれば、解説士を配置して訪問客に当時の歴史的状況と意味を説明するだろう」とし「むしろ戦闘の惨状を写実的に伝えて愛国心を呼び覚まし、学習の場として活用される効果があるだろう」と明らかにした。







加藤 清正(かとう きよまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。肥後熊本藩初代藩主。通称は虎之助(とらのすけ)。熊本では清正公さん(せいしょこさん)と呼ばれて親しまれている。

豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍の一人。秀吉に従って各地を転戦して武功を挙げ、肥後北半国の大名となる。秀吉没後は徳川家康に近づき、関ヶ原の戦いでは東軍に荷担して活躍し、肥後国一国と豊後国の一部を与えられて熊本藩主になった。明治43年(1910年)に従三位を追贈されている。

慶長2年(1597年)12月、完成が間近に迫った蔚山倭城へ57,000人の明・朝鮮軍が攻め寄せて蔚山城の戦いが始まると、清正は急遽側近のみ500人ほどを率いて蔚山倭城に入城した。未完成で水も食糧も乏しい状況で、毛利秀元や黒田長政等の援軍の到着まで明・朝鮮軍の攻撃に10日ほど耐え、この戦いを明・朝鮮軍に20,000人[12]の損害を与える勝利へと導いた。この当時の朝鮮における明軍の総司令官であった楊鎬は、勝利と偽って本国に報告したが、惨敗したことがばれ、解任された。慶長3年(1598年)9月にも再び蔚山倭城は攻撃を受けるが、この時には城も完成しており、前回ほど苦戦せずに撃退した。

清正は朝鮮の民衆から「鬼(幽霊)上官」と恐れられた。なお、朝鮮出兵中に虎退治をしたという伝承(本来は黒田長政とその家臣の逸話であるが、後世に清正の逸話にすりかえられている)が残り、そこから虎拳という遊びの元になった。セロリを日本に持ち込んだとされており、セロリの異名の一つが「清正人参」である。




この話題への反応



加藤清正の侵攻にもまだ謝罪がないって、どんな頭してたらこういう考えになるんだ?wwwww

やっぱこの国おかしい!
一周回って戦国武将を讃えてくれるんだw


過去に固執し過ぎ。像も作り過ぎ。遂に400年前の人物まで。ほんとバカらしい。

これ検討の結果、自称慰安婦像が置かれる案件ですね

そんなに古いことをいつまでもネチネチと。じゃあ日本人は元寇で壱岐対馬福岡の住民を大勢連れ去ったことを謝れと言ったことがあるか?その像を作ろうなんて言う人いると思うか?アホらしい。

日本が謝罪していないとか、そういう次元の問題なんでしょうか、これ?

負けたほうを勇ましく、買ったほうを苦しんでるように作るとかわけわかんないな!

いっつも思うんだけど、おまえら自分の何代も前の祖先がなんかやらかしてたらそれ謝り続けるんか?












加藤清正で日本人観光客を誘致しようという考えも、
それに市民が反対する理由が謝罪がなかったからだの、
もうなんなんだあの国・・・